終わらせる方法
罠を仕掛けたのは急斜面。
落下している罠の一部。
以前にも同様の現場を見ていた経験が活かされた。
猪が鼻で跳ね上げたか、前脚で蹴り飛ばしたのだ。
「ヘーイ!」
ビクッとして振り返ると、下から追いついてきた師匠が満面の笑みでこちらを見て右手を上げていた。
「ヘ・・ヘーイ!」
こちらも左手を上げてハイタッチする。
びっくりした。
こんなにテンションの高い師匠は初めて見た。
しかし気持ちはわかる。
自分だって本当に嬉しい。
なにせ猪は鹿より捕獲が難しく、比率で言えば3:7程度しか獲れないのだから。
そして小さいという事は、雄でも雌でも肉質が柔らかいという事だから。
いきなりの本命。
パッと見た感じ本当に小さいが、1頭目の獲物としては上出来だ。
そりゃ否応にもテンションが上がるという物だ。
時折、倒れた大木の向こう側から顔を覗かせる猪。
遥か下に位置している自分達は、それを見上げながら少しずつ迫っていく。
あと20メートルという所で師匠に呼び止められた。
罠のワイヤーそのものが痛んでいない事は、猟期開始前に確認している。
だが、ちゃんと脚を括っているだろうか?
斜面の上から助走をつけ駆け降りた勢いで足からワイヤーが抜けて逃げられたり、そのままこちらに突っ込んできて怪我を負う危険はないだろうか?
それが、今いる位置からは確認できなかった。
仮にどの脚をどれ位の深さで括っていたとしても、可能な限り自分達が上方に位置した状態で止め刺しを行うのが最も安全だ。
そういう意味で師匠は言った。
「左から回り込むぞ。」
猪を中心に半径10メートル程の距離を保ち、言われた通りにゆっくりと左側へ移動する。
真横に来て倒木を越えた地点で、ワイヤーがどの脚を括っているか確認した。
後ろ脚をしっかりと捉えているのを確認。
一先ず、ホッとした。
止め刺し(とどめ)はどうするか?
腰に差しているナイフでは危険すぎて無理だ。
どこを噛まれても大怪我に直結、返り討ちにあっても何らおかしくはない。
10月に千葉県千葉市で街中に出没した猪のニュースを思い出す。
何人もの警察が猪を取り囲み、さすまたで押さえつけようとしていたのを見てゾッとした。
上はどんな指示を出したんだ?
無謀にも程がある。
結局、警察2名含む計3名が足を噛まれて負傷したとの事。
負傷の度合いが分からないが、よくそれだけで済んだものだ。
槍を作るために車まで鉄パイプを取りに戻っても良いが、
その間に逃げられるかもしれない。
ようやく獲れた1頭目でそれだけは避けたい。
じゃあ、もう答えは決まっている。
正にこういう時のために所持したのだ。
背負っている銃を地面に降ろした。
対峙
何年も罠猟を続けていく内、猪の反撃に遭って大怪我を負ったり命を落とす猟師のニュースにどんどん敏感になっていった。
自分達がニッパーやノコギリを使わないと切断が難しい太目の木の根など、猪は平気で噛みちぎる。
メギッ
ブチブチブチブチ
こんな凄まじい咬合力を持った動物が敵意むき出しで突っ込んでくるのだから、指だろうがどこだろうが1ミリたりとも噛まれたくはない。
安全に止め刺しできる機会が多ければ多いに越したことはないのだ。
だから銃を所持した。
鳥猟も巻き狩りも興味が無いわけではないが、それが所持に至る最大の理由だった。
良くも悪くもそれなりに経験を積んだ今は逆に、
「槍なら大概いけんじゃね?」
とか思っているが、やはり持っておいて良かったと感じる事は多い。
猪は自分達と逆方向に突っ走っるが、ワイヤーに引き止められて逃げられない。
今度はこちらへ突っ走ってくるが、やはり届かない。
だが何が起こるかわからない。
準備を急がねば。
カバーから銃を取り出し、ポケットの中の弾を装填した。
慎重に近づいていく。
?
なんだか猪の動きがいつもと違うような?
後ろ脚が1本しかないような?
三ツ脚か?
罠に掛かった鹿や猪は、当然だが何とかして生き延びようと全身全霊でワイヤーを引っ張る。
その時、稀に脚を引きちぎり逃走する個体がいるのだ。
これまで自身の仕掛けた罠でそういった事態が起きた事は無いが、
鹿だったか猪だったか・・三ツ脚の獲物を1頭仕留めた事はある。
今回もそれだろうか?
目の前で暴れる猪の後ろ脚を再確認した。
・・・!!!???
後ろ脚が両方ともワイヤーに縛られている!
なんだこれは!?
こんなパターンは初めて見た。
罠が2箇所あって、その両方に脚を踏み込むなら分かる。
どちらか一方を踏み、逃げようと暴れる内にもう一方の罠を踏むのなら。
だがその場合は、同じ脚に2つのワイヤーが括られるか、
1本目と2本目、別々の脚に1つずつワイヤーが括られるかしか考えられない。
罠の作動速度なんて一瞬だ。
0.5秒も要さないのではないか。
その一瞬の間に後ろ脚2本を同時に縛り上げるなんて・・
獣道と罠の間に横木を置いて跨ぐようにはしたが、それを飛び越えて後ろ脚から着地したのだろうか。
この猪は一体どういう歩き方をしたのか、未だに分からないままだ。
普段通り歩く事ができなかったから、今まで罠に掛かった個体より物音が立たず、自分達が気づくのが遅れたのだ。
しかし、安全面で見るならこちらにとっては好都合と言える。
どんな動物だって、両脚を縛られてしまえば大したパワーは出せない。
これならワイヤーが引きちぎられる事はないだろう。
ワイヤーが伸びきる限界距離の内側へは入らず、ギリギリの距離まで近寄った。
「(結局は超接近戦になるんだな・・)」
そう思いながら、銃口を空から猪へ向けた。
心理的負担と成果
今年産まれたにしては大きい・・2歳にしては小さい・・
だからおそらく1歳と少しといった所か。
苦しめないように一撃で仕留めねば。
狙いは後頭部。
肉の損傷をなるべく減らし、即死させる事ができる。
槍を使う時もそうだが、仕留める時は最もとどめを刺し易い姿勢に獲物が向きを変えるまで待っている。
こちらが無理して銃口や槍の切っ先を動かし、致命傷となる部位を狙っても命中率は低い。
猪は基本的に、反撃の為に人間を真正面に捉えている。
だがしばらく待っていると、急に姿勢を変えて真横を向く。
時間にすれば1~2秒という短い時間だが、その瞬間を狙う。
猪が逃げた。
今回は横ではなく完全に後ろを向いている。
後ろ脚が両方とも縛り上げられているので、うつ伏せに倒れる姿勢になった。
後頭部が丸見えだ。
銃口を向け、引き金を引いた。
バン!!!!!
ゴロゴロゴロ・・
ワイヤーが目一杯伸びきるまで転がり落ちた猪は微動だにしない。
即死だ。
良かった。
弾は1発しか装填していないが、それでも銃身に何も入っていない事を確認する。
念のため、安全装置もかけて引き金が引けないようにする。
動かない猪を見て思った。
相変わらず何という威力だ。
自分は何と恐ろしい物を所持しているのだ。
ごめんな。
だが、もう闇雲に落ち込み続ける事はない。
・・やった!
ついに今年も獲物を手に入れた!
オスだろうか?
メスだろうか?
たかだか20~25キロ程度に見えるからどっちにしても肉は柔らかそうだ!
脂が乗っていると良いな!
これで第2回ジビエBBQ開催へ大きく前進した。
「僕が運びますよ!」
猪が荒らし回った周辺の掃除が終わった後で、自らそう申し出た。
小川まで運び、毛に付着した泥汚れを川の水で落とし、水をある程度切ってから内臓を取り出す。
そこで一旦、休憩を兼ねた昼食。
期待したほどではなかったが、脂はそこそこ乗っていそうだ。
一息ついたら本格的な解体となった。
寒風吹きすさぶ中、2人とも震えながら肉を切り取っていく。
時に自分の解体の未熟さを怒られて。
時に冗談を言い笑い合って。
解体は相変わらず大変だったが、自分で肉を手に入れる事ができて嬉しい。
それを喜び合う人がいてくれて嬉しい。
獲物に対して申し訳ないという気持ちと感謝の気持ち。
やっぱり、それは両方やって来る。
自分はこれからも狩猟という行為を全力で楽しむ事ができないのだろう。
だからこそ、楽しいのだ。
こうやってアレコレ悩みながら肉を手に入れる事が楽しいのだ。
脂の量が多い+骨の構造が複雑なために、鹿より猪の方が遥かに手間がかかる。
今年も師匠が言った。
「獲れたら獲れたで大変だなぁ。」
大変だ。
重労働だ。
それを感じられる事、そしてまたその言葉を聞ける事も嬉しい。
ただ帰りの道中、今年も師匠が放った発言には即座にツッコミを入れた。
「いい加減もう飽きたろ?」
「・・あんた数時間前に言ってたでしょうが!!!」
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