皮から革へ(鹿)①

狩猟
鞣し初挑戦の頃。この毛が全て抜けた。

我が師匠の尻の下

「・・なかなか良くできてんじゃねえか。」

山へ向かう車中。
師匠が座る助手席の下にそれはある。
運転席の自分はアクセルの踏み込み3割増しで意気揚々と答えた。
「でっっっしょー!!??」
自分が仕留めた鹿の、
自分が鞣(なめ)した鹿の革がそこにある。

猟期のメインは秋と冬。
日によっては降雪もあり、
人間にも獣にも体力的に厳しい時期になる。
毎年毎朝、車中で師匠が、
「寒っみぃなぁオイ!」
とよく言うので、
保温性のテストも兼ねて使ってみて欲しかったのだ。

皮鞣し。
ずっとこれをやってみたかった。
また1つ夢が叶った。

狩猟を始めてから数年は無理だった。
師「ケェーーッッ!!!」
(意:何をトチ狂った事を言っておるのだお前は肉があればそれで良いだろトチ狂ってんのか!)

当時、肉以外に持ち帰りを許可して頂けたのは、
せいぜいが解体時に出た骨や角。
皮だけは何年もNOを突き付けられていた。
食べる事やジビエ料理だけでなく、加工品を作ってみたいのだと毎年伝えてはいたが、
皮の持ち帰りだけは絶対に許して貰えなかった。

なぜか?
泥汚れが酷いからという単純な理由だけではない。
何よりの理由は、
獣の皮に無数に潜むダニの存在だった。

SFTS(重症熱性血小板減少症候群)。

SFTSウイルスを保有するマダニに刺される事によって感染する媒介感染症。
国内では2013年に初めて報告されているようだ。
つい最近の話だけに、
報告が無いだけで以前から感染者がいたのではと思ってしまう。

2019年の国立感染症研究所の資料によると、沖縄・
九州南部より被害区域が徐々に北上を続けている。
『死亡例はより高齢者に多い(年齢中央値:80)。
日本における致死率は感染症発生動向調査によると、年々低下傾向にあるが、詳細な調査では25~30%と高いままである。』

北上中

マウス実験により有効性が確認されている抗ウイルス薬があるようだが、
患者に対して有効性が確立している抗ウイルス薬は現時点で存在しない。
患者の職業は、
無職に次いで農業や林業に従事する作業者。
とりわけ高齢者に多く、
50歳未満の症例はまれとされる。

師匠は綺麗好き。
そのため単純にダニの車への侵入を嫌がったが、
このウイルスに感染しないためにも持ち帰りを許さなかったのだ。
それで一度、怖い思いをした事がある。

ある年、
山へ向かう途中で師匠が不自然な動きをしていた。
やたらモジモジしている。
「(・・なんだろう?キモい。)」
ずっと気にはなっていたが本人は何も言わない。
アンタ何してんですかとは尋ね辛い。
「(・・なんだろう?)」
「(・・なんだろう?)」
「(・・なんだろうキモい。)」
そう思っていると突如、師匠が口を開いた。
「尻の近くをダニに噛まれてよ。
ずーっと痒いんだ。」

!!
心底ビビリ倒した。
いや尻の近くってどこだよ!?
教えてSiri!

経験がないということ

その日、獲物が何も掛かっていなかったのは残念だったが、それはとても幸いな事でもあった。
「大した事はねーよ。」
なぜか強気の師匠の言い分を聞かず、
帰宅後も電話で訴え続けた。
どうしても黙ってはいられない。
「とにかくいますぐ病院で検査を受けてくださいって僕と違って大金持ちなんだから!!!!」

お互いSFTSの存在を知ってはいても、
それまで完全に他人事だった。
周りに感染した者など聞いた事が無く、
それ以前にダニに噛まれた事が無かった。
知識があっても経験がなければ実に脆いものだ。
本気で焦った。
普段は基本的に言いなりの自分。
それが物凄い勢いでまくしたてた物だから、
あの時は少し気にしてくれたらしい。
しぶしぶ病院で検査を受けてくれた。

普段から年齢も体力も全く問題ない様に見えたが、あの時は師匠が心配で心配でしょうがなかった。
後日、何の問題も無かった事を知った時は本当に安心した。

遊びと学びの場が、いつか後悔する場となるのかも知れないと思うと未だ恐ろしい。
当時、仮に師匠が感染し重症化していたら、
それ以降は毛皮を鞣そうなんて到底考えられなかっただろう。
冗談抜きで、狩猟そのものから撤退していたかもしれない。

ケタケタ笑いながら山へ向かう師匠と自分。
そんな日々が当たり前の物として、
この先も続いて欲しい。
そのためにずっと健康でいて欲しい。
毛皮を持ち帰るだなんて、
随分と危険な提案をしてしまったと反省した。

だが、
『喉元過ぎれば・・』
とは良く言った物。
日が経つにつれ思うようになっていった。

・・やっぱりなめしてみたいぃぃ

そもそもどの道、
肉を得るために解体はするのだ。
感染リスクにそこまでの差は無い筈。
一度ダニに噛まれただけで諦めてしまうには、
自分にとって皮鞣しという物はあまりに勿体なく、
そして魅力的に感じた。

あー師匠が引退するまで待っていられない。
1年目2年目からすれば解体速度も大分上がり、
衛生面により注意を払えるようになった。
もういい加減、大丈夫だろう!
許可を待っていては埒があかない。
翌年、何頭目かの鹿を仕留めた時、
我慢できずに宣言した。
「今回は毛皮を持って帰ります!!!!」

毎年の訴えが功を奏したのか
数年経って少しは信用を得られたのか
諦めたのか

きっと諦めたのだろう。
師匠は言った。
「・・お前は興味を持ったらやってみない事にはどうしても納得できんらしいなぁ。」

「そーなんです!」

皮を入れるためのビニール袋を取りに車へ向かった。

いつもより慎重に剥ぐ

経験があるということ

数年前、
1人で罠の見回りをしていた時に鹿が獲れた。
獲物が獲れた事は何度かあったが、
一度毛皮を持ち帰った事がある。

自分の車で持ち帰るなら、
師匠には何の危険も及ばない。
やったぜ・・
遂に皮鞣しができるぜ・・
誰も見ていないというのに、
ビクビクワクワクしながらしながら車を走らせた。

帰宅後は早速、
ビニール袋に洗剤を入れ水をためて揉み洗い。
泥汚れに洗剤を行き渡らせるためとダニを完全に殺すためにそのまま一晩、ベランダに放置した。
その間、皮鞣しの手順を復習した。

まずは皮に残った余計な肉をこそぎ落すせん打ち。
プロはせん刀と呼ばれる専門道具を用いるが、
自分は当然持っていないのでナイフの背で代用するつもりでいた。

次に鞣し液。
皮に含まれるタンパク質は、
放っておくと菌によってカビが生え腐敗してしまう。
だから、ミョウバンと塩の混合液に漬けて腐食を防止する。
他にも脳漿やタンニンといった材料があるが、作業性や入手性的に最も効率が良いと思われるミョウバンを選択。
こちらは既に購入済みだった。

その他作業はあるが、毛皮鞣しで強く印象に残っていた作業はこの2ステップ。
ここで余程のミスを犯さなければなんとかなると思っていた。
だが、ここでも経験の無さが露呈した。
毛皮を洗った段階で既に大失敗している事に、
まるで気づいていなかった。

泥汚れを落とす際、
使用する洗剤は中性が望ましい。
弱酸性の動物の皮にアルカリ成分は強すぎるから。
その事は何度も何度もYoutubeで皮鞣し動画を見返し確認していた。
それなのに、自宅の洗剤がアルカリ性である事を完全に失念していた。

数日後、ビニール袋から毛皮を取り出す。
徹底的に水洗いするために、
皮にあてがった手のひらを強く押した。

ズルッ・・

「Oh・・!!!???」
手のひらを当て奥へ押し込んだ面積ごと、
いとも簡単に鹿の毛が抜け落ちた。

えっ・・
ええっ・・!?

どこを撫でても毛がゴソッと抜け落ちていく。
何が間違っていたのか全く分からない。
だが、間違いなく失敗したのは分かる。
歯ぎしりしながら止む無く処分した。
それでその年の皮鞣しは終了した。

原因が洗剤のPHである事は後日判明。
貴重な機会を台無しにした事に、
当時は強い後悔を覚えた。
だがあの時の失敗は今に繋がっている。
今回は中性洗剤を準備済みだ。

リベンジ

洗剤に毛皮を漬け込み数日後、
両手にゴム手袋をはめてひたすら洗った。

茶色い泥汚れと、
小さな無数のダニが流れ落ちていく。
正直気味が悪いが、皮鞣しとは自然界とはそういう物だと無理矢理に納得しながら汚れを落とす。
何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も。
これSDGs的な観点からすると自然環境にダメージなのでは?
そう思いつつも延々と洗い続けた。

スルッ
スルッ

時折、皮の端から毛が抜け落ちる物の、
前回のような極端な抜け方はせず、
ほとんどの毛が残った。
まだ第1段階すら終わっていないが、
前回よりは前進している事を確信した。

その後も洗浄を繰り返し、
1匹残らずダニが落ちた事を確認した。
次は皮と肉の間に指先を滑り込ませ、
残った厚めの肉を剥ぎ取っていく。

メリメリメリメリ・・

それでも残る薄い肉は、
ナイフの背側で徹底的にこそぎ落した。

ゴリゴリゴリゴリ・・

なかなかの作業量だったが、
肉は不要どころか腐敗の原因になる。
徹底的に排除しなければならない。
猪の様に脂が無いだけまだマシだ。

遠慮なく力を入れているのに、
皮は思った以上に頑丈で穴が開く事はない。
どんどん肉が削れ落ちていく。
「(・・すげえ丈夫だなぁ。)」
好奇心が勝って、
試しにナイフの先端で肉を削ってみた。

ズブ!

あっさり貫通。
「ゲッ!」
なんてアホなのだ。

「ゲッ!」

アパートの一室でキーキーわめく事1時間。
押入れの中で長期間に渡り眠り続け、
ただ白く美しいだけの粉末ゴミでしかなかったミョウバンが、文字通り日の目を見る時が来た。

水1リットルにつき、
ミョウバン25グラムと塩40グラム。
ミョウバンを計った後、
あまりの使用量の少なさに愕然とした。

えっこんだけ?
すっげー量を買っちまったんだがどうしよう。
なんで買う前に必要な量を確認しなかったのだろう。
今後も永く使う物だからと言い訳しながら、
ゆっくりとぬるま湯の中で混ぜ合わせる。

そしてその混合液の中に毛皮を浸して揉み込む。
後は混合液が毛皮全体に行き渡るよう、
空気を抜いてビニール袋の口を閉じた。
さあミョウバン先生!
その役割を、
数年越しのお勤めを存分に果たしておくれ!

浸漬中

浸漬の具合

混合液は定期的に混ぜ合わせる必要があるようだ。
鞣し液の成分を皮のタンパク質に、
まんべんなく浸透させるためだろう。
混ぜ込みと揉み込みを繰り返して1週間が経過した。

皮に成分が浸透したか否かの目安は、
手で握ってみる事で判断できるらしい。
握った手の跡が徐々に戻ってくればまだ浸透不足。
跡が残っていれば完了のようだ。

小鹿とは言え胴体丸々1頭分の毛皮。
それなりの大きさだったので、
混合液は5リットル分用意して漬け込んでいた。
ミョウバンと塩の使用量は125グラムと200グラム。
こんなもんか?
足りないか?
いやもう1週間も待ったのだ。
根拠は無いがいい加減十分だろう。
ワクワクしながら皮を握ってみる。

ぐにに。

なんだかしなやかなゴムの様な弾力だ。
握りこんだ指の跡がはっきりついた。
上手くできた気がする。
だが、
1分程眺めているとその跡がゆるゆると戻って来た。

「・・よっ・・・しゃぁ??」
鞣し液成分の浸透が不十分なら、
腐敗の原因になるのでアウトだ。
だが一応、指の跡がついた事は間違いない。
これは良いのか悪いのか?
次のステップに進んで良いものなのか、
初めての事で判断できない。

どうしようどうしよう。
過去学んだ情報の中から、
判断するに足る根拠はないものか記憶を辿る。
するとある事に気付いた。
『鞣し液が足りないと腐敗するので追加する』
という情報には何度か触れた覚えがあるが、
『鞣し液が多過ぎると失敗する』
という情報には1度も触れた覚えがない事に。

自分がまだ知らないだけで、
実際は良くないのかも知れない。
だが、成分が多過ぎた分は単に無駄になるだけで済むのではないか?
悩んだ挙句、
新しい鞣し液でもう1日粘る事に決定。
追加で5リットル分の鞣し液を用意し漬け込んだ。

ミョウバンが多少は勿体ない気はしたが、
これで毛皮が全滅・台無しになってしまっては時間的にも費用的にも最大の損失となってしまう。
これで駄目なら仕方ない。
来年までにまた原因探しだ。

「(もしかしたら成分の浸透は完全に終わっていて、結局何も変化は無いのかも?)」
そんな不安を抱えつつその日は眠った。

ぐにに

翌朝。
2度目。
改めて皮を握ってみる。

ぐにに。

・・手の跡が全く戻ってこない。
・・成功だ(たぶん)!
やはり混合液中の成分が足りなかったようだ(たぶん)。
試してみて良かった(きっと)。
さぁ次のステップだ。

次は真水で洗浄。
丁寧にし過ぎるとミョウバンと塩が洗い流されてしまって保存性が落ちるようだ。
全体をごく軽く水洗いしてからベランダに干した。
傍目からはただの茶色い布にしか見えない・・
見えない筈だが・・
一抹の不安が頭をよぎった。

通報されたらどうしよう。

近隣住民に発見された場合を想定してみる。
「(ご覧になられましたか!
仕留めた鹿を革にしようとしてまして!)」
・・絶対に理解を得る事はできないな。
カムフラージュとして、少ししか溜まっていない洗濯物をわざわざ洗って皮の隣に干した。

「(とにかく誰にも見られませんように!見られませんように!見られませんように!)」
ドキドキハラハラ。
・・いや流石に大丈夫っしょ!

指の跡が残っている

「いらない」「処分したい」土地はお任せください【北山FRONTIER】

狩猟
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エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。

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