鳥獣供養と猟友会総会

狩猟
シカの刺身

鳥獣供養

雪山での獣の痕跡探しは面白かったが、狩猟そのものに参加できない日々は続く。
猟友会に無事入会したは良い物の、猟期の真っただ中に入会した物だから休日の先輩方は山の中。
なかなか知り合う機会がないまま3月の猟期の終わりを迎えた。
今年の11月の猟期開始まで半年以上もある。
このままじっとしているしか手はないのか?
山に入る事自体は何も問題ないのだから、キャンプでもしてまた自分で歩き回ってみようか。
雪山の様に痕跡を見つける事は難しくても、前回の学びを糧に気付ける事が何かあるかもしれない。

悶々とした日々を過ごしていると会長から連絡があった。
「1年の締め括りとして鳥獣供養と総会を開くので良ければ参加してみない?」
鳥獣供養・・自身はまだ一頭も仕留めていない訳だがどういった物か興味がある。
そして何よりも総会で先輩方に会える。
どちらも参加する事にした。

鳥獣供養は近所の寺で行われた。
特に持参する物は無いとの事だったので、言われた通り手ぶらで向かう。
猟師とは一体どんな方々なのだろうか・・
地域性も絡むのかも知れないが、人によってはとんでもなく厳しいとも聞く。
会長は温和な方だが、下働きとして言いなりになれみたいな先輩がいたら息が詰まりそうだ。
失礼があってはいけないので早めに行ってご挨拶でもと時間に余裕を持って出発した。
しかし、教えられた寺の周辺は寺だらけ。
どこに車を停めたらよいのか周辺をグルグル回って探すがはっきりしない。
何度も会長へ連絡を入れるが、返事があったのは集合時刻を少し越えたあたり。
結局、遅刻してしまった。
まずい。

謝りながら寺へ入ると猟師と思われる大勢の方々が座って待ち構えていた。
当時の参加者は30名はおられただろうか。
自分が住んでいる地域にこんなにも猟師がいたのかと驚いた。
供養だからと明るい服を避けて参加したが皆さん普通の格好だ。
遅刻したお詫びをしている時間はないため、そそくさと端に座った。

読経が始まり、先輩方がお1人ずつ仏前で供養をする。
葬儀・供養には参加した事がないため、
数珠が必要である事を知らず会長から借りた。
作法は先に供養をする先輩方の見様見真似で自分も続いた。
狩猟を始めておらずどういった気持ちで臨めばよいのかはっきりしなかったが、
今自分が存在できているという事は、既に数多の命を食べて来たという事だ。
感謝と罪悪感と、色んな感情が入り混じったまま手を合わせた。

狩猟を始めてから何年も経つが、
供養の際は未だこのはっきりしない気持ちのままで何かに祈る。

二年目からは自前の数珠で

総会

寺での供養が全て終わった後、総会が開かれた。
会長から紹介して頂き、全員の前に立ってご挨拶をする。
きさくなご年配の方ばかりで、若手(という年でもないのだが)が久々に入ったと喜んで頂けた。

聞かせて頂いた実際の現場で行われる狩猟の話題には興味が尽きなかった。
狩猟を始める若者はやはり少ないらしいのだが、
自分のように罠を主体として狩猟を始めるタイプは更に絞られてごく僅からしかった。
先輩方の多くは早朝から集団で山に入り、

  • 獲物を追い立てるチーム
  • 追い立てられた獲物を待ち構えて仕留めるチーム

の2組に分かれて狩りを行うスタイル(巻き狩りと言う)の方々ばかりだった。
罠猟の免許を所持している方も数名おられたが、
所持はしているものの実際には行動していなかったり、
行ってはいるが既に組んでいる相手がいる方だった。
見回りの都合上、罠猟は車1台につき定員2人が基本らしかった。
山の中に仕掛けて良い罠の上限は1人最大30個までだ。
罠や、罠の架設に必要な道具等、
荷物が大量にあるので3人目は車内スペースを圧迫するのだ。
運転席と助手席に人間が乗り込んだらもうパンパンらしかった。

・・やっぱり単独でやるしかないんじゃないのか?

と少し不安になったものの、
以前
の生活を続けていたら聞ける事のなかったであろう話ばかり。
ベテランの方々のお話が面白くあっという間に別の話題に移った。

総会では先輩方が仕留めた鹿や猪を用いた料理も振舞われた。
鹿は刺身や寿司、猪は味噌鍋。
都会で食べたらとんでもない額になるであろう料理が大量に並んでいる。
勧められるままに食べ続けた。

もう先輩方は飽きてしまっているのか、
鹿にも猪にもあまり手を付けない方もおられた。
しかし自分にとってその味は衝撃だった。
鹿は赤身、猪は脂身の量が物凄く、旨味が噛み締める程に広がる。
家畜は家畜で素晴らしいと常々思う物の、やはりそれらとは異なる力強さを今も感じる。
夢中になって食べた。
鹿を刺身にするためにどんな風に冷凍・加熱しているのだろうか。
(ジビエは寄生虫等の問題から生食を禁止されている)
猪はメスが脂が多い聞くがこれはメスだろうか。
どの位のサイズだったのだろうか。
料理方法を考えながら、うまいうまいと連呼し夢中で食べ続けた。
翌日、腹を壊す位に。

自分の力だけでそういった獣達を調達できるようになるのは随分先になってしまうのかも知れない。
でも行動しないと絶対に獲れる日はやってこない。
自分の皿の上に自分の肉が乗る日はやってこない。

しかし、それはつまり行動しさえすればいずれは叶うと言う事だ。
実際に叶えた方々が目の前にいて、楽しそうに狩猟の経験談を話している。
一年生の新米には無謀な目標なのかもしれないが、
来年度の総会は叶えた側として先輩方と酒を飲みたい。
そう強く思った。

とんこつスープの牡丹鍋

狩猟
エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。
その槍を

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