初めての猪②

狩猟
ある日の猪。ハツ・レバー・タン・内ロース

悔しい

後日、
師匠からその年に初めて獲れた猪の肉を頂いた。

「ハァ~俺って本当に優しいよなぁ。」
「解体つかれたわぁ~。」
「何にもせず肉が手に入って良かったねぇ~。」
師匠はドヤ顔で嬉しそうに笑っている。
なーーーんて嫌なヤ・・良い人だろうかぁ!
見ようと思えば、
アルカイックスマイルに見えん事もない。

「・・本当にありがたいことです。」
やはり感謝以上の言葉が出てこない。
1頭につき1個しかないハツやレバー、
それだけでなく脂の乗った大量の肉を頂いた。
後光が見えん事もない。
鹿と猪。
狩猟界の2大巨頭が手に入ったのだ。
入手可能な肉としてこれ以上の物はなかった。

猟師となってまだ1年目の頃だ。
相変わらず急斜面で足を滑らせてずっこけたり。
不発に終わった罠の回収時、
手に持っていた罠を目の前で作動させてしまって怪我をしかけたり。
獲物を仕留める以前の問題、
危険な目に遭う事の方が多かった。
焦れば手痛いしっぺ返しが待っている。
経験を積む機会として、
猪を仕留められず初年度を終えるのも、
安全に猟期を終えるという意味においてはアリだったのかもしれない。

・・だがやはり悔しい。

初めての獲物だった鹿を仕留める前は、
文字通り必死になり罠の見回りをした。
仕留めた後は強い罪悪感し、
辞めようか悩む程に激しく後悔した。
それからまた、意欲に燃えていた。

ジビエ料理の事ばかり考え、
まず獲る事を考えろと叱られていた初期とは意識がかなり変わった気がする。
相手は最も捕獲難易度が高い猪。
だからこそ一層、自分の手で捕まえたかった。

猟期は基本的に2月15日まで。
愛知県は個体数削減のため、
鹿と猪に限り3月15日ま1ヶ月延長されている。
まだ猶予があるとはいえ、
年が明けるとなんだか不安になる。
狩りの終わりが迫ってきたと感じてしまう。

その後、鹿は何度か獲れて経験を積む事はできたものの、残念ながら猪は掛からず。
帰宅後は、汗と泥と枯葉で汚れた服を洗って終わりの繰り返し。
それでも、成果が得られない日が続く程、
猪を獲りたいという思いは強くなっていった。
猟師としての適性が、
多少はあったのかも知れない。

肉は真空パックすれば長期間楽しめる

雪山の中で

雪が降った。
銃猟スタイルの猟師は雪を喜ぶ方が多い。
獣が移動した際、新しく踏んだばかりの足跡がはっきりと分かるので、追跡が圧倒的に容易になるからだ。
新雪に残った足跡は間違いなく半日から直前に何かが歩いた証拠。
『この足跡は新しいのか古いのか?』
そこに時間をかけて悩む必要がないのだ。

しかし自分のような罠猟師はちょっと事情が変わってくる。
うっすらと積もってくれるならありがたい。
獲物が罠の近くに寄ってきたのか?
それとも近づきすらしなかったのか?
その点は銃猟のそれと同じく有益な情報となるのだが、あまりに厚く積もると罠の踏み込みが甘くなり、獲物の足の先端を括ってしまう。
それでは罠が外れ易くなり危険性が増す。
罠の真上を獲物が歩いても雪が凹むだけで作動しない場合も出てくる。
罠そのものが凍結する可能性もある。

その日の積雪量は2cm程度。
最高だ。
車で山を問題なく登っていけるし、
痕跡があればすぐに分かる程度の積雪量だった。
だが山に入ってみて初めて分かった問題が1つ。
罠の位置が全っ然分からない。

何度となく見回りをした猟場だ。
ノートやGoogleMapに印をつける必要は全くなく絶対に覚えたと確信していた。
それなのに、
雪があるとないとではまるで眼前の景色が違った。

ほんのうっすら程度の積雪量で、
そこに確かにある筈の罠を見つけ出すのに相当苦労した。
ちょっとした岩や枝。
仕掛けた罠まで辿り着くためのそれらの情報が、
白い風景の中に溶け込んでしまっていた。

どこだどこだ?
確かにここにある筈なのに。
どう考えてもこの辺り一帯のどこかという場所の手前まで近づくと、
自分が罠を踏んでしまわないように、
細心の注意を払った。
そっと地面に積もった雪を払い、
1ヵ所1ずつ慎重に罠を確認していく。
見回りだけで相当な時間が必要だった。

運良く罠を踏まずに通過した事も

仰向け

「お前、見てくる?」

罠を確認に行く際にたまに師匠が言う言葉だ。
確認が面倒な、急斜面の上に仕掛けた罠を見回りする時に発せられる事が多い。
雨や雪が降っている時は尚多い。
言われる側として正確に翻訳すると、
「疲れるからお前見てきて。」
という意味になる。

正直言ってこのセリフは結構好きだ。
「(んんんんんなんてお茶目さんなのかしら。)」
そんな風に感じるから。

そもそもこちらは罠の仕掛け方とか以前に、
ガソリン代含め諸々経費を出して貰っている身。
それがあまりに申し訳なさ過ぎて、
常にこちらが貢献できる機会を常に伺っている。
こういう時は運動にもなるし、
獲物がかかっていたら第1発見者。
猟期2年目からは、
どちらかというとこちらから率先して提案するようになった。
「僕1人で行ってきますわ。」
「あ、そう?んじゃ頼むわ。」

その時も1人で罠の確認へ向かった。
うっすらとはいえ雪の積もった急斜面。
落下しない様にしっかりと枝を掴み、
滑りながら斜面を駆けあがって行く。
枝葉生い茂る場所だったので、
罠の周辺だけほとんど雪が積もっていなかった。
運良く罠の位置はすぐに確認できた。

あぁ良かっ・・た・・?

罠周辺の地面が大きく掘り返されている。
???
雪が降っていてもいなくても、
元々は絶対にこんな現場ではなかった。
・・咄嗟に師匠の言葉を思い出した。
「猪は何でもかんでも鼻を使うからよ、罠に掛かると何とかして逃げようとそこらじゅう掘り返すんだよ。小さい隕石でも落ちたのかって位だぞ。」

小さな隕石。
まさに。
人の手で耕したんじゃないかと思う程、
そこら中の大地が掘り返されている。
猪がここにいた。
だが今はいない。
・・第1発見者になり損ねた。
あああなんてこった取り逃がした。

・・・師匠にこんな報告するの嫌だなぁ。
再設置するには道具をまた持ってこなくてはならないし、
どうせ猪は警戒してもう戻ってはこないだろう。
そう思い罠を回収しようと近づいた。

・・あれ?
罠が無い!
どこにもない!
どういう事だ?
真っ先に思いついたのは盗難だ。
どう考えても人が入る場所とは思えなかったが、
もしかして自分達が見回る前に、
他の猟師が罠に掛かった猪を見つけ、
罠も猪も持っていっちまったのでは???

周辺を見渡すがやはり罠は無い。
何がどうなっているのか分からずワイヤーを括りつけていた若い木を見た。
・・あれ?
ワイヤーがある。
意味が分からずその先を目で追った。
ワイヤーは自分に向かって伸びており、
すぐ隣の藪の中に消えた。
藪の中を覗く。
するとそこには、仰向けにひっくり返り微動だにしない猪がいた。

「あうッ!?お”お”ッ!!!???」

驚きの余りそんな声を出した覚えがある。
完全に予想外。
いのししがいる!!

藪を払った後の仰向けの猪。

後悔の先の感情

距離にして2m。
完全に面食らって尻もちをついた。
大怪我を負うどころか、
場合によっては人生が終わる危険性のある相手がすぐ隣にいたのだ。
本気でビビり倒し、
すぐさま数メートル後ずさりし再確認する。

しかし猪は全く動かない。
・・まさか死んでいるのか?
おそるおそる近づき顔を覗き込んだ。
猪は目を見開いている。
死んでいる。

・・なんという事だ。
ついに猪を仕留められたと思ったら、
最もあってはならない結果になってしまった。
ワイヤーはしっかりと猪の足を捉えていた。
藪の周囲で大暴れした際、細い若木にワイヤーが巻き付き過ぎて仰向けになり、
そのまま動けなくなっていたのだ。
ごめん。
ごめん。
そう思ってワイヤーを解除するために手を伸ばした。
しかし次の瞬間、

・・・パチッ!

猪が瞬きし、そして足を少し動かした。
もう声は出なかった。
申し訳ないという上から目線の思いから、恐怖のどん底に一気に叩き落された。
心の中で絶叫したまま斜面を駆け降りた。
生きてるうぅぅぅぅぅ!!!!!!

報告と準備

毎回毎回、何も罠に掛からないどころか気配のケの字もないポイントだった。
だから毎回毎回、
「なーんにも掛かってませんエサも食ってません。」
そう師匠に報告していた。

罠の一部は斜面真下の側溝に落ちていた。
猪が蹴り飛ばしたのだ。
もしくは鼻で弾き飛ばした。
なんという力だ。
斜面の上から転がり落ちたとはいえ、
罠の位置からは20メートルは離れている。

驚きつつ罠を回収して車に戻る。
今回もいつも通りの報告待ちの師匠は、
助手席で気だるそうにスマホをいじっていた。
ここ絶対に電波繋がらんのに。
普段なら、獲物は掛からんスマホは使えんでブーブー言われるポイントだ。
しかし此度は違うのだ。

呼吸を整え報告する。
「・・シシがおるっす。」
一瞬、ぽかんとした師匠は一気に笑顔になった。
「・・マジか!」
自分もつられて笑顔になった。
「マジす!」
急いで状況を説明。
もう猪が身動きできずにいる事を知ると師匠は言った。
「そんな風になってんのか・・・・
それなら槍は1本でええなぁ。」

「(え”っ!?マジか!?)」
そう思った。
仰向けで動けないとはいえ相手は凶暴な猪。
出来れば2本ともパイプを連結させ、
可能な限り遠間から止め刺し(とどめ)したいのだが・・
そしてなんだろう?
ちょっと師匠のテンションが下がった気がする。

状況を師匠に見てもらってから判断して欲しいと思ったが、
獲物を仕留めた後は掃除が待っている。
相手が鹿でも同様だが、
猪が掘り返した大量の土も含め、
『罠を仕掛けた現場は整地して元通り綺麗にしなければならない。』
というのが師匠の教え。
罠を仕掛けさせてもらっている山への感謝と、
万が一にも人が踏み入り、
罠を仕掛けた穴に足が嵌まって転倒しないようにという具体的な理由がある。

そのためにスコップを持って急斜面を登らなければならなかった。
何往復もしていては効率が悪い。
というかしんどい。
しょうがない1本で挑戦しよう。
パイプ1本と先端に取り付けるためのナイフを自分が、そして清掃用のスコップを師匠が持ち、
また猪のいる場所までよじ登って行った。

短い槍。猪は目の前。

初めての猪

鹿を仕留めた時の様に、
申し訳ないという心の余裕は持てなかった。
ただとにかく恐ろしい。
状況を確認した師匠はやはり1本で十分だと言う。
槍が短いので尚の事恐ろしい。

「はーいどーぞー。」

慣れた師匠が動画の撮影を始めた。
いや怖いんだけど。
でも師匠はいつものノリだから大した事ない?
何しろ猪は全く動けない。
過去最高の止め刺しのし易さ。
やるしかない。
首元を狙って槍を突いた。

悪い癖が出た。
申し訳なさというより、
その時は恐怖で思い切り刺せなかった。
止め刺しにはこれ以上ない条件であるにも関わらず、刃の進んだ先が胸骨だったという事もあり、
槍の先端が数センチ進んだ所で止まってしまった。

ギィッ!

刺した瞬間、猪が小さく叫び暴れた。

ああああああ!!!!

そう思いながら、
何とか平静を装おうとしたらしい。
後に動画を見返した時、
完全にビビってすぐさま後ろに飛びのいた自分が、ボソッと呟いていた事を知った。
「・・刺さっとらんな。」
師匠はその時何も言わなかったが、
自分が撮影する側ならこう思う。
「(何当たり前の事を言ってんだこの馬鹿は。)」

妥協や躊躇が獲物を一番苦しませる事は、
これまでの鹿で学んだ筈だ。
少し狙いを変えてすぐさま再挑戦。
もしそれでも骨に当たるなら、
それすら貫くつもりで今度は全力で刺した。

$%*¥#!!!

鹿のように高く大きくはないが、
うなり声ともうめき声とも言える形容し難い低い叫びを猪は上げた。
相変わらず恐ろしかったが、
今度は手の力を緩めない。
槍は抜かずに更に刺し、
完全にナイフが刺さっている事を確認してから引き抜いた。

「血は出てるんか?」
「大量に出てます。」

自分の視点からは出血が分かるが、
師匠からは見えなかったようだ。
「もう1回2回、刺しな。」
これ以上、刺したくはなかった。
だが、猪が致命傷に至ったのかどうか当時の自分には分からない。
長く苦しませないために、
言われるがままもう1度刺した。
その一撃で猪は動かなくなった。

ありがとう。ごめん。

そこでようやく鹿と同様に、
申し訳ないという気持ちになってきた。
自らの命が脅かされる状況では、
謝罪の気持ちは沸き辛い。
心に余裕がある状態だからこそ、
自信の命が担保されているからこそ謝れる事を思い知った。
謝りつつ感謝しつつ周辺を掃除。
息切れしながら2人で猪を車まで運んだ。

腐敗の早い内臓は取り出し、
心臓と肝臓以外は埋設。
常備している水で腹の中を洗い流した。
脂が熱を持った柔らかい状態では皮を剥ぎ辛い。
一晩冷却し解体は翌朝となった。

興奮と、そして達成感。
やはり罪悪感は強く感じたが、
鹿の時のようにそれ一色で心が塗り潰されるような事はなかった。
ああすればこうすればもっと良かったと、
帰宅中の車内は、師匠よりも自分の方がテンションが高かった。
初めての猪。
「今日は猪に感謝してハツとレバーを食えよ。」
弟子が初めて仕留めた猪だと、
素直にそう言って喜んでくれた事も嬉しかった。
勿論ありがたく頂く。

最後に師匠は言った。
「・・それにしてもよぉ。あんなに簡単に止め刺しできるんではつまらんなぁ。お前はもっと慌ててくれねーと面白くねーんだよな俺。」

・・だからあんたテンションが下がってたのね。
「(んんんんんなんてお茶目さんなのかしら。)」
そんな風に感じる訳もなく、
少しイラっとしながら安全運転で帰宅した。

狩猟
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エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。

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