初猟③(槍)

狩猟
猪を仕留めた後。槍を杖代わりにして呼吸を整える。

「??? なんですかこれ?」

師匠の狩りに初めて連れて行って貰った翌週、
山に到着して荷下ろしをしようと車内を覗くと、2本の棒を見つけたので尋ねた。
先週同行した際は見かけなかった物で1本1メートル以上ある。
「それを連結して先端にナイフを取りつけるんだ。そうすると槍になる。」
もし獲物が掛かっていた場合、それで仕留めるのだと師匠は言った。

言われてみれば確かに・・
Youtubeでも狩猟漫画でも、
自作の槍で止め刺し(獲物にとどめをさす)する様子を見た事は何度かあった。
動画を見た時は、
『可愛そう』と『カッコいい』
両方の感情を抱きつつ興奮して視聴していたものだが、
その時からずっと、全くの他人事として捉えて見ていたのだろう。
今の自分はそれを使う側にいるのだという自覚を、山に入って尚、持てていなかった。
そうだ。
自分は罠を仕掛けたのだ。
もし鹿か猪が罠に掛かっていたら、その命を奪わなければならない。
単独で狩猟をしようとしていた頃はナイフ1本でなんとかしようとしていた。
随分甘い考えだったものだ。

試しに棒を持ってみると・・何kgあるんだこれ?
相当な重さだ。
その扱いが容易でない事はすぐに理解できた。
鉄アレイですら振り回すのは難しいのに、
連結してナイフまで取り付けたら3メートル近くにはなるだろう。
これで暴れまわる獲物の心臓に狙いをつけて刺すのか・・
望んでこの世界に入ったというのに、
実際に命を奪うための道具を見ると、少し怯んでしまう自分がいた。

淡々と師匠は言った。
「俺が見回りした時は気配が全然なかったけどな。これから使う事になるかも知れんぞ。」

槍を杖代わりにして急斜面を登っていく

角と脚

鹿の角は恐ろしい。
漫画でも読んだが、師匠を含めた先輩猟師達からは本当に注意しろと良く言われる。

鹿は1歳から雄にのみ角が生え始め、
牛・羊・カモシカ(シカ科ではなくウシ科)とは異なり毎年生え変わるという特徴を持つ。
角が成長しきった後の基本サイクルは

  1. 落角(らっかく)・・春に根元から角が落ちる
  2. 袋角(ふくろづの)の成長・・落角後すぐに柔らかい角が伸び始め成長
  3. 破角(はかく)・・夏から秋にかけて外周部が剝がれ始める
  4. 枯角(かれづの)・・完全硬化し完成

となっている。
この内、3の段階で鹿は樹木等に角をこすりつけて先端を鋭利にしていく。
繁殖期に他の雄と争うためにこのような順序で戦闘用にカスタマイズ。
事故防止のために奈良県で行われる鹿の角切りは有名だ。
二ホンジカの場合は角が生え変わる度に増えていき、その数は最大4本。
つまり最大4本の槍を持つ訳だ。
罠に掛かった獲物を仕留めようと近づいた猟師が反撃にあい、
腹部を刺されたり肺に穴が開いたという前例がある。

また、山の中の急斜面を平気で駆け上がるので、強靭な脚力をもっている。
人であれば生まれてから直ぐに大人になるまでボルダリングし続けるような物だろうか。
その鍛え上げられた長い脚で蹴り上げられて肋骨を折った方もおられるようだ。
油断したつもりはなかったのだが、暴れた鹿の後ろ脚が顔の傍をかすめていった事がある。
眼に直撃していたら大怪我をしていた所だ。
本当に危なかった。

草食獣でも油断大敵

歯と牙

猪は鹿より遥かに恐ろしい。

噛む力は成人男性の2倍と言われ、指を嚙みちぎられる事故が起きている。
鶴見中尉にできるのだから猪にできない訳がない。
以前、とある小さめの雄猪が罠に掛かった際、自分が近づくと、
ガチッ ガチッ
と歯を鳴らしながら、手でも絶対に引きちぎれないであろう木の根を
ブチブチブチッ
とあっさり噛みちぎりながら威嚇された事がある。

とりわけ牙による攻撃は絶対に避けたい。
雌にも小さな牙があるが、雄のそれは巨大で上下から伸びている。
特に下アゴから伸びた牙が鋭利で、
鹿と同様に樹木や上から伸びた牙を用いて研ぎ澄ます。
猪の牙に関してはよく
『ナイフのようなもの』
という表現を見るが全く同感。
というかナイフそのものだ。
軽く触れただけで、
「(あ・・・これ以上の力を加えたら指が切れて出血してしまう)」
と直ぐに感じる位に鋭いものだった。

興奮した雄の猪は、この牙をむき出しにしたまま真正面から突っ込んでくる。
運悪くワイヤーが切れようものなら、人体の中で最も太い血管が走る太ももに突き刺さる。
猪の頭と人の太ももが大体同じ位の高さにあるからだ。
刺さった直後、猪は本能で頭を下から上に振り上げるので、
太ももは血管もろとも広範囲をザックリ切り裂かれてしまう。
襲われた人間はその後、大量出血によりショック死に至る。

鍛え上げた人間が包丁を持って突っ込んでくる位危険だと感じる。
鹿は聞いたことが無いが、猪の反撃により命を落とした方は多数おられるようだ。

一度噛まれればただでは済まない

見回り

だから槍を使う。

ナイフは短すぎて余りに危険で、銃は使用が限られる。
ナイフと銃の中間?を取って、可能な限り安全に仕留めようという訳だ。
銃の使用が最も安全ではあるのだが、所持に至るまでの過程に相当手間がかかる。
管理方法が厳しく維持費もかかる。
当然、銃猟が禁止されている区域では使用できない。
猟場の近くが民家等、人のいる可能性が比較的高い所であればなるべく使用は避けたい。
どれだけこちらが法を犯していなかったとしても、余計な不安を与えたくはない。
静かな山の中に響き渡る散弾銃の轟音は、
何も知らない方からすれば強い恐怖を感じても何らおかしくないぐらい凄まじい。

師匠と共に罠の見回りに行く。
この道の先にもし獲物がいたら、車に戻って槍を持ってこなければならない。
その日、師匠は銃を持ってきていなかった。
仕留める手段は槍しかない。

・・俺がやるんだろうか?
・・・師匠がやってくれるんだろうか

肉になる過程を知らない新人。
だから肉になる過程を知りたくて狩猟を始めた新人。
それなのに、あの時の自分は大型動物の命を奪うという行為をできれば避けたかった。
恐ろしかった。

1つ目の罠・・ハズレ。
2つ目の罠・・ハズレ。

結局、全ての罠を見回ったが獲物は一頭も掛かってはいなかった。
物凄く安堵した。

帰宅中、悔しそうにしている師匠の隣で、
緊張が解けた新米猟師は鹿や猪のどこを食べてみたいのか喋りまくる。

「ハツやレバーは絶対食べてみたいです。」
「やっぱりヒレは柔らかいんですか?」
「タンって食べた事ありますか?」

呆れつつ、また苦笑いしながら師匠は言った。
「お前・・食う事の前にまず獲る事を考えろや!!!」

ごめんなさい。

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エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。

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