強欲の代償
師匠から頂いた猪がうますぎて食べる事をやめられない。
焼肉、しょうが焼き、焼きそば、キムチ鍋、豆乳鍋、味噌鍋・・・
仕事中に考えるのは、その日の晩の猪料理の事ばかり。
ジビエ料理屋でなけなしの量を年に数回食べていた程度の自分にとっては、
突如として金銀財宝を手に入れたに等しい。
大喜びで食べ続けた。
何かで役に立って師匠にお返ししなければ。
そんな思いで次の週、狩り場を正確に把握できていない癖に言ってみた。
「山まで僕が運転しましょうか?」
しかし、道がわかっていない事を見抜かれ即却下。
何より、知り合ったばかりで信用の無い新米には運転席を譲ってもらえない。
そのため次の週もそのまた次の週も、師匠の運転で山へ向かう事が決まっていた。
次第に甘えが出始める。
絶対に運転をしないという状況に安心しきって、
狩猟前日の晩は景気づけと言い訳し、いきつけの居酒屋で後先考えず飲み食いした。
じっとしていられず、平日に有休を取って周辺の山を単独でうろつく事はあったが、
それもハイキング程度のささやかな運動量。
日々、摂取するカロリーが消費を上回り続けた。
鹿肉ならともかく、猪肉は豚肉に比べ低脂質とはいえ、そのカロリーに大した差はない。
猪を追っていた筈の新米猟師は、
大量の肉と酒によってみるみる内にその身を猪へと変貌させていった。
カッターシャツやボトムはパツパツ。
ベルトはギリギリ。
仕事の昼休憩中、仮眠を取るためにうつ伏せになろうとすると、見事に成長した腹が邪魔をして呼吸が苦しく眠れない。
元々からして74kgあった若干重めの体重は、気が付くと86kgになってしまっていた。
備わる筋肉
「・・流石にまずい」
相当に遅まきながらそこまで体重が増えて、ようやく焦り出した。
猟期終わりの春から月二回、慌ててジム通いを開始。
申し訳程度ではあったが酒を減らしつつ多少なりとも鍛える。
次の猟期が到来すると、道を覚えた新米は改めて車の運転を申し出てなんとか許可を得た。
運転があると分かりきっているので飲酒量は更に減る。
金曜に居酒屋に通う事が少なくなり、行っても店長に
「・・なぁどっか悪いのか?」
そう病気を心配されるほど酒を控えて早々に帰るようになった。
向こうからしたら残念極まりない話だろう。
また、2年目ともなると多少は山で出来る事が増えてくる。
春と夏の間はちょこちょこ山へ入って狩場探し。
ぬかるんだ泥や枯葉等、滑りやすい不安定な山の中を時に這い上がり時に滑り落ちた。
誤って人が罠を踏む事があってはならないので、
絶対にここには誰も立ち入ろうとしないであろう急斜面を越えて獣道を探し回る。
頑丈なツルや木や岩を掴んで昇り降りした後は、疲れて帰るのが面倒になった事も。
準備していた食糧を食べながら薪の準備をして、テントで野営する事もあった。
猟期が来ていざ罠を仕掛けるとなれば、
スコップ等のさまざまな道具を用いて、真冬の山中で大汗をかきながら穴を掘る。
一人で見回りに行く回数も多くなった。
獲物が掛かれば、仕留めた後に運搬から解体まで休日を全て費やし、
細かな精肉や料理は仕事帰りの平日晩も延々と続く。
酒を飲んでも飲まなくても、疲労でたちまち眠ってしまう日々が続いた。
猟期は基本的に11月から2月の3か月。
だが自分が狩猟をしている愛知県は、
猪と鹿に限り農作物被害の影響から、地域が絞られ罠の猟期が1か月延長されている。
計4か月。
1年の3分の1をひたすら山の中を徘徊している間、次第に体中に筋肉がつき、脂肪が落ちていくのを風呂に入る度に実感した。
超エクササイズ
1年目の猟期が終わった春、新タマネギのサラダにハマった。
勿論いつもジビエ肉を美味しいと思っているが、
連日肉を食べ過ぎて、その時はさすがに飽きがきたのだ。
そうしたら今度は野菜の美味しさに夢中になってしまった。
ドレッシングやマヨネーズを遠慮なくかけて山ほど食べる。
休日の朝から車の運転をする必要がなくなったので、酒の量はそれなりに増えた。
しかしそれでも、全身に備わった筋肉によって基礎代謝が大幅に増加していたのだろう。
過程が不健康過ぎるがあの時は2週間で4kg痩せた。
何かを極端に節制した覚えはないのだが、
86kgまで増えた体重はその1年後、数字が逆転して68kgになっていた。
それに気が付いた後日、
スーパーで10kgの米を片手に1袋ずつ掴んで10歩ほど歩いてみると、苦しくて苦しくて仕方がない。
「(・・・前はこんな状態で生活していたのか。)」
ヒザが痛くなる訳だ。
狩猟漫画「クマ撃ちの女」には1話ごとに短いコラムが挟まれている。
どれも考えさせられる事が多くとてもためになるのだが、その中にこんな話がある。
超エクササイズ
ある医師によると、山での狩猟は一番運動量の多いスポーツと言われる水泳よりも運動量が多く、そしてほぼ全ての筋肉を使うのだそうだ。
作中でメインテーマとなる銃猟は野山をひたすら歩き回る狩猟スタイルだ。
一度、ココ!と決めたらその場にとどまり罠の設置作業に入る自分と比べたら、
遥かに上回る運動量になるだろう。
それでも、狩猟が全身運動である事は、毎年この身で実感している。
それからの生活
次の猟期までの間にまた極端に体重が増えたのかというとそんな事はなく、
以前と比べて酒をあまり飲まなくなった。
狩猟3年目に入った頃からその傾向が強くなったと思う。
猟期か猟期外かは関係なく、危険な思いをする度に安全意識が強くなっていく。
車を運転する予定があってもなくても飲酒量に注意を払う事が増えた。
食事量も少し減った気がする。
狩猟を通じて自然に触れる機会が増えた事も体重に関係しているかもしれない。
ちょっとどこかへ観光に行くと、その先々の山中に思わず入ってみたくなり、
罠を仕掛ける訳でもないのに足跡を探す。
湖や川の近くに行けば、わざわざ寄って行って鴨がいないか探す。
そういったちょっとした運動も、
狩猟を始める前は全くしなかった事なので少なからず影響がありそうだ。
痩せすぎて筋力が衰えたり脂肪が減り過ぎて風邪を引きやすくなっては困る。
68kgの体重はなるべく維持するようにしている。
ジビエ料理を堪能していたら、
健康的な体をいつの間にか手に入れていたのは完全に想定外だった。
・・山の中の昼飯は超高確率でカップ麺なのだが。
脂肪1kgの体積は約1.2立方センチメートル。
減った体重18kg。
その全てが脂肪ではないだろうが、
18 x 1.2 = 21.6立方センチメートル。
2L入りのペットボトル約10本分の体積が全身から消えた事になる。
ギチギチだった衣類はブカブカに。
ベルトは一番手前の穴で締めるようになった。
「おぃ・・痩せ過ぎだろやっぱり何かあるんだろう?」
またもや居酒屋の店長から心配されてしまった。
人→猪→人。
次は鹿の様に引き締まった体になるだろうか。
コメント