初猟⑥(その槍を)

狩猟

獲れないでくれ

「なんか獲れたら写真撮って送ってやるよ。」
擬音語なら
「ヒヒヒ」
って感じ。
新しい狩場に罠を仕掛けて回った日の帰宅中、
そう師匠に笑いながら言われて複雑な気持ちになった。

平日は夜遅くまで仕事があるので、
休みを取らない限り山へ入る事ができない。
だから月曜から金曜までの5日間は、
師匠が罠の見回りをしてくれている。

・・してくれているのだが!
それは本当の本当にとてもありがたい事なのだが!!
平日と言ったら1週間7日の内の5日だ。
それはもうほとんど1週間だろ。
自然の中で暮らす生き物達に土日休みや正月があるわけがない。
何をどう考えても自分がいない間に獲物が掛かる確率の方が高かった。

しまった。
地団太を踏むとはこの事か。
何の根拠もなく、平日の捕獲率は低く自分が山に行く土日だけは高い気でいた。
もし本当にそうなってしまったら自分の首を絞めるだけなのだが、
「グヌヌ」
って感じで言い返した。
「多分~厳しいんじゃないっすかね?」

ひとしきりこちらをからかった後で、
冗談だよと言わんばかりに師匠は続けた。
「肉もちゃんとやるから大丈夫だ。」
一瞬ホッとして、そしてすぐに考えを改める。

イヤイヤイヤそれはそれでそうだけれどもそうじゃなくて。
もしそんなんで終わってしまったら・・
第1頭目を仕留める瞬間に立ち会えないまま、
肉だけ貰って終わったとしたら・・

師匠が見切りをした山で、
師匠が決めたポイントに、
師匠が自作した罠を仕掛けただけ。

さすがにそんなザマで、
「僕は狩猟しています。」
なんて恥ずかしくて誰にも言えない。

自分で仕留めて解体して肉にするという過程を知る事も、
獲物をジビエ料理にして食べる事と同じ位に重要だった。

山の中にいる筈のまだ見ぬ獣達に無茶苦茶な祈りをした。
「(金曜の晩まで罠に近づかないでくれ・・)」
「(でも金曜の晩に罠を踏んでくれ。)」

ただ追い求める

休日土曜のいつもの朝

祈りが届いたのだろうか?
結局、月曜から金曜日の晩まで師匠からは全く連絡がなかった。
自分が関わっていない所では何も起きなかった。
そういう意味ではホッとひと安心しできて良かったけれど、
やはりそれはそれで良くはないよなと思い直す。
仕事終わりに、何とも言えない気持ちでLINEで師匠に連絡をした。
「明日は宜しくお願いします。」

師匠からは直ぐに「了解」とだけ返事。
やはり何も獲れなかったらしい。
この際、鹿でも猪でも狐でも狸でも構わない。
これから明日の朝までの間に、
大急ぎで罠を踏んでくれないだろうか。
そう思いながらその日は眠った。

当たり前だが、土曜日早朝の師匠は渋い顔。
「やっぱり周りも獲れんと言っとるわ。いよいよ今年はダメかも知れねーな。」
開口一番そんな事を言い出したので、今までで一番、車内の空気が重い。

わざわざ仕掛けた罠を全て回収した上、山そのものを変えて設置し直した。
それでもこの1週間、何の成果も得られていない。
弱気になるこの道数十年の大ベテラン。
あの年は猟師にとって本当に厳しい頃だったようだ。

車内の会話が弾まないまま現地へ到着した後、
すぐに仕掛けた罠を2人で見て回る。
初めのポイントには罠を2個仕掛けていた。

=========〇●〇==========
=・・獣道 〇・・罠 ●・・エサ

こんな具合に、誘引用のエサを挟み込むようにして罠を設置。
獲物が獣道の左右どちらからエサを求めてやってきたとしても、
一方の罠は踏むだろうという算段だ。

エサは必ず撒く訳ではない。
獣道が明確であれば、罠を仕掛けるだけで獲物を捕獲できる可能性が高い。
コスト面の理由もあるが、
違和感を与える可能性があるのでエサは極力控える。
ただ、あの時はどこもかしこも気配が薄く、
また1頭も仕留めていないという焦りもあってあちこちにエサを撒いていた。

・・罠の周りには何もいなかった。
が、山の様に盛ったエサが綺麗に消え去っている。
そこに何かしらの獣が来ているという事は間違いなかった。

どんな獣がやってきたのか?

狩猟免許の講習会だけでは分からない事例の1つが、
エサの食べられ方から獲物を推定する事だ。

地面の土までベロベロと嘗め取るように食べ尽くされていたら猪の可能性が高く、
山の頂点が崩れ落ちたようになっていたら鹿がモソモソと食べた可能性が高い。
勿論、他の中・小型獣の可能性もある。
風等によって単に崩れ落ちただけかの見極めも必要だ。

半渇きの地面の土がくっきりと見えていた。
猪だ。
猪がここにいたのだ。

地面を掘り返し土を巻き上げる瞬間の猪

猪が罠を踏んでくれなかったのは悔やまれたが、
エサを追加した後は2人共ワクワクしながら次のポイントへ向かった。
金曜日までの間に掛からなかったとはいえ、
前の山では1カ月に渡って何の変化もなかった獣の気配が1週間で現れたのだ。
自然、期待感は高まった。

初めのポイントではエサを食べられて終わった。
2カ所目は?・・気配なし。
3カ所目は?・・少しエサが食べられている。
4カ所目は?・・気配なし。

保険のつもりだったのだろう。
当初の期待と裏腹に、
もうすぐ昼になるという所でまたもや師匠は弱音を吐いた。
「・・や~っぱ厳しいな無理かも知れんな。」

師匠の気持ちも良く理解できた。
この先にも罠を仕掛けてはいたが、もうすぐ中間点の峠にさしかかる。
そこから先は文字通りの下り坂、どうしてもテンションは下がる。
狩猟を始めたばかりの新人に励ましの言葉など言える筈もなく、
余計な事を言って状況を悪化させるまいと助手席でじっとしいた。

あと100メートルも進めば峠に到着する。
50メートル。
10メートル。
そして停車位置へ到着した。

「(先週までと一緒。結局1頭の成果もなく今日も1日が終わるんだな・・。)」
そう思っていた新米猟師は、
師匠が踏んだ急ブレーキで前方へつんのめった。
運転席の師匠が叫ぶ。

「掛かっとるやねえか!!!!!!!!」

跳ねる獣

「(あbbbbっぶねえな!!!!????)」

勢い良く体が前方へ跳ねた直後、
師匠の言葉を理解しきれないまま睨みつけるようにその顔を見た。
師匠は半笑いで嬉しそうにこちらを見ている。

・・え?
・・・・まじで?

徐々にその言葉の意味を理解しつつ、
半信半疑のまま、顔を外へ向き直した師匠の視線に自分の視線を重ねた。

・・・鹿が飛び跳ねていた。

あ。
しかってほんとにやまにいるんだ。

単純にそう思った。

その後の師匠は慣れた物だった。
「やー----っとか!」
大声でそう言うと、
本当に満足げに笑いながら車を道路脇に停めて降りていった。
自分も慌てて降車する物の、
こちらはどうするのが正解なのかさっぱり分からない。
同じ動きをすればとりあえず間違いではなかろうと、
ただただメンツを守るために半笑いで同じように車から降りた。

50メートル程先では相も変わらず鹿がこちらを見ており、
なんとか逃げおおせようと右に左に走り回っている。
角は生えていないので雌だ。
足元を見ると、鋼鉄製のワイヤーがしっかりと右前足を縛り上げている。
どう見ても逃げる事は不可能だった。
師匠に言わせると普通の大人サイズらしいがとにかく大きく感じた。

・・おれはなにをじゅんびすればいいんだろう?

・・ししょうはこれからなにするんだろう?

・・ししょうはどんなてほんをみせてくれるんだろう?

『肉はどこからやって来るの?』
そんな気持ちで狩猟を始めた筈なのに、
あの時はただただ他人事にしたかった。

俺が殺すの?この鹿を?まさか!?

目の前の命を自分が奪うという行為からただ全力で逃げようとしていた。

とにかく平静を装い、師匠のそばで静かに押し黙る。
本当に何をどうすれば良いのか全く分からなかった。
指示待ち人間の極みだった。

一言も発しなくなった自分を見て全てを察したのだろう。
いつも小馬鹿にして冗談を言っていた師匠が、
これまでに無い穏やかな優しい口調でこちらに助け船を出した。

「・・・俺が仕留めてやろうか?」

そう言われた瞬間、気持ちが1つに固まった。
どういうわけか、物凄い安堵感がやってくると同時に
心の中にあった脆くてか細い感情が撚り合わさり、
ただ1本の鋼線に引き絞られた気がした。

師匠が銃を持ってきていない事は、
朝の待ち合わせの時点で把握している。
仕留めるには他の道具が必要だ。

目の前の命を確実に奪うならアレしかない。
まさか自分が使うとは思っていなかった。
本当の本当に想定していなかった。

ただ、今この瞬間だけは自分が使うべきだと確信している。
借り物なのに自分こそが使うべきだと思っている。

からかわれてから1秒もかからなかったと思う。
飛び跳ねる鹿を眺めた後、
目を見開いたまま軽トラの荷台に視線を移して師匠に言った。

「その槍を貸してください。」

俺がやる

狩猟
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エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。

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