熊と獣害②

鳥獣被害
フリー画像より

100年前の熊害(ゆうがい)

三毛別羆事件。
過去、日本における熊の被害の中で最も多くの死者を出した熊害事件。
出産を控えた妊婦が生きたままヒグマによって食い殺され、計7名の死者が出た。

事件が起きたのは1915(大正4)年と100年以上前の北海道苫前。
Wikipediaの記事から事件の経緯を簡潔にまとめる。
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11月初旬
富蔵家にヒグマが出没しトウキビが被害にあう。
11月30日
富蔵家から駆除依頼されたマタギが傷を負わせるも取り逃がす。
12月9日
太田家の女性Aと養子になる予定の男児B(6歳)が襲われる。
男児の側頭部には親指大の穴があいており死亡。
Aの姿はなく、窓枠にはAのものと思しき頭髪か絡みついていた。
12月10日
捜索隊が結成されヒグマをを発見。
しかし取り逃がす。
トドマツの根元に衣類が絡まった膝下の脚と頭蓋の一部が残るAを発見。
同日夜、太田家にてAとBの通夜中にヒグマ乱入。
その約20分後、太田家から約500m下流の明景家にヒグマ乱入。
妊婦のCは子供の命乞いをしながら、
上半身から食べられる。
Cの腹から引きずり出された胎児Dは食べられてはいなかった(しばらく動いていたという)。
他、男児E(6歳)、男児F(3歳)、男児G(3歳)含む、
計5人が死亡。
3名が重傷を負った。
12月?日
集落住民(全15戸約40人)が三毛別分教場(小規模な学校)へ避難。
12月12日
通報を受けた北海道庁警察部(現 北海道警察)が管轄区に討伐隊結成指示。
しかしヒグマを発見できず。
獲物への執着が強いクマの習性を利用するため、討伐隊が遺族と住民を説得。
犠牲者の遺体をエサとしておびき寄せる作戦が採用される。
ヒグマ出没するも射殺できず。
12月13日
歩兵第28連隊の将兵30名が出動。
無人の住居8軒にヒグマ侵入。猟師が目撃するも射殺できず。
12月14日
足跡と血痕が発見される。
ヒグマの姿を目撃した猟師が討伐隊とは別行動で山に入る。
その後、猟師がヒグマを発見。
20mまで接近し、樹に身を隠してからクマの背後から発砲し命中。
第2弾が頭部を貫通し射殺。
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12月12日から14日。
そのたった3日間で投入されたリソースは、
討伐隊員のべ600人
アイヌ犬10頭以上
鉄砲60丁
と甚大な物だった。

ヒグマは分教場で解剖され、胃から人肉や衣服が発見された。
また、解剖を見物しにきた人々が
「この熊は太田家を襲撃前に、雨竜・旭川・天塩で3名の女性を殺害し食べた」
と次々に証言。
それを裏付けるように、彼女らが身に着けていたとされる衣服の切れ端が見つかった。
彼女達を含めると被害者数は計10名となる。

余談になるが、
射殺後のヒグマがソリで山から降ろされる際、
晴天続きの天候が急変し猛吹雪となり、一行を激しく打った。
村人達はこれを
「熊風」
と呼び語り継いだという。

苫前では後にこの事件を再現した三毛別羆事件復元地が作られたが、今年10月31日に閉鎖された。

復元地

100年後の熊害

2023年。
前の記事でも書いたが、主に東北地方で分布が拡大中のクマの被害が止まらない。
クマ1頭が出す死者数こそ三毛別の事件に及ばないものの、各地で被害に遭われる方々が多くなっている。
通信技術が発達し、テレビやSNSにより必要な情報をすぐに得られるようになった。
しかし100年後の日本でも、当然ながら人は人で熊は熊。
一度、熊に敵と認識されれば逃げ延びる事は難しい。

10月29日
北海道の大千軒岳(だいせんげんだけ)で函館市の20代男性Aが行方不明となる。
男性は日帰りの装備だった。
10月31日
大千軒岳で登山中の消防隊員3名が襲われる。
クマ避けの鈴を装備しホイッスルを鳴らしながらの登山だったが、
午前10時、休憩中にヒグマが出没。
Bが首とわき腹を負傷。
Cが所持していた刃渡り5cmのナイフで熊の目元・喉元を刺すもわき腹と太ももを負傷。
クマは喉にナイフが刺さったまま逃走。
D含む3人は自力で下山。
11/2
大千軒岳の6合目付近で、刃物でつけられたような傷のあるクマの死骸が発見される。
その数10m先で、人間の遺体が発見される。
遺体の一部は土に埋められおり、
損傷が激しく性別不明。
近くのリュックサックにある免許証から、
遺体は男性Aでクマに襲われ埋められた可能性があるとされている。

連日、
クマによる死傷者が出続ける中での単独登山。
被害は東北地方が多いのでそこまでの危険性はないと判断されたのだろうか。
本当に熊に襲われたのだとしたら、
どれほど恐ろしかったろう。
まだ20代。
ご家族の心痛を思うと、
やりきれなくてたまらなくなる。

習性と能力

クマをテーマにした漫画なり記事なりを見ていると、とにかく熊は、自分の物だと認識したエサへの執着が非常に強い。

三毛別羆事件では、埋められたご遺体が持ち帰られて執り行われた葬儀の際に、ヒグマが乱入して棺桶を荒らしているし、止む無くご遺体を用いたおびき寄せが有効な対策として採用されている。

大千軒岳の件でも、消防隊員3名が襲われたのは7合目付近で、クマに食べられたと思われる男性Aのご遺体があった6合目から近い。

秋田県と同様にクマの被害が深刻な岩手県では、シカやイノシシの被害も深刻だ。
令和4年度のシカによる農業被害額は、
約2億7千4百万円。
イノシシは約4千2百万円。
令和3年度の農林水産省データによると、
岩手県は鹿による被害が北海道を除けばワースト1位だ。
猪の被害に関しては、
東北地方は他府県に比べ額としては低い。
だが、
平成の終わりから令和にかけて急速に伸びている。

岩手県の鹿による農作物被害(令和3年度)

岩手県の猪による農作物被害(令和3年度)

鹿が増えれば草木が減る。
草木が減れば土壌が流出し森林が荒廃する。
森林が荒廃すれば木々が枯れる。
木々が枯れればドングリや栗といった木の実、つまり猪の餌が減る。
猪が生き抜くために、熊が生きていくためのエサまで食べられてしまう。
飢えた熊は食料の確保に躍起になる。
エサとなるブナの実が大凶作とされる今年であれば猶更。

熊はエサを土に埋めて土饅頭(どまんじゅう)にして保存する習性がある。
厚い積雪があれば雪饅頭にする。
犬並みと言われる程に嗅覚が優れた熊に、文字通り必死になって手に入れた食料が奪われそう・奪われたと認識されればすっ飛んでくるだろう。
行動範囲は1日数10km、全力で走れば時速40kmを越える。

有刺鉄線はマッサージ。
話題となったOSO18は、木に背中をこすりつける「背こすり」という熊の習性が利用され、木に巻き付けた有刺鉄線に残された体毛をDNA鑑定する事で行動が追跡された。
力は鹿や猪用の鋼鉄製の檻を破壊する。
木登りが得意。
泳ぎも得意。
ドラム缶の中でUターンできる。

登山やキャンプに行かれる方は、熊鈴だけでなくクマスプレーの携行が望ましい。
咄嗟に取り出し使用できる心の余裕と、噴射できるだけの時間の猶予があるか分からないが、それでも無いよりは絶対にあった方が良い。
熊鈴とホイッスルで警報を鳴らしながら登山していた消防隊員3名の内2名が負傷したのだから。

長野県HPより

人の優しさで死ぬ熊

「熊は基本的に憶病で人を避けます。ただ、いきなり目の前で鉢合わせになったり興奮状態の場合はその限りではありません。」
こういった文言は多く見る。
だが、一向に止む気配の無い今年の被害状況を見ていると、この言葉からは
「それ多くの他の動物でも同じでは?」
以上の解釈ができない。
明らかに人に慣れている。
そして慣れさせているのは、被害に遭っている人間そのものだという現実がある。

誰がクマを殺したか?
というHTB北海道ニュースが作成した番組がYoutubeで閲覧できる。
クマが珍しい可愛いからと写真家が集まりこぞって撮影。
彼等から非難を浴びながらも注意喚起を続けた知床財団の研究員は、花火の爆音すら恐れず人の食糧の味を覚えた結果、止む無く駆除されてしまったクマを見て涙を流した。
動画は7年前に投稿されており、2年前に野生動物へのエサやりで罰金が課される事となった

人を恐れて欲しいのに人の方から接近していく。
人が熊との境界線を薄め、狭め、
そして人が殺される。
だから、クマを殺したくないのに、殺さなければならなくなる。

善意による発言や行動が不幸を招くような事になっていないか?
自分もどこかで同じような事をしていないか?
いつも考える。

【ハウスプロテクト害獣駆除】

鳥獣被害
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エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。

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