罠の威力
「お前・・だから注意しろって言っただろ・・」
地面に這う自分を見て師匠がニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
今まで狩猟をしてきて3回は自分の仕掛けた罠にかかるという無様な失態を犯した。
しかしあの時ほど自然に罠にかかった事はない。
漫画の様に
「シュバッ!」
と罠が作動した時の音やワイヤーの締まる感触で気づきそうな物なのに。
Youtubeで見た鹿や猪は罠が作動した瞬間、足が掛かろうが掛かるまいが即座に飛び上がるのに。
それなのにあの時は、
「しまった罠を踏んでしまった!!」
なんて全く感じなかった。
藪をかき分け落ち葉を踏みしめ進んだので、その物音や感触で気づかなかっただけだと思いたい。
トラバサミ(危険なため使用は禁じられている)でなくて本当に良かった。
罠師の技は恐ろしい。そうも感じた。
「まぁそういう事もあるわな。」
笑う師匠の助けを借りてワイヤーを外す。
くくり罠の作動部はテニスラケットの様な構造になっている。
フレーム部がワイヤーでガット部を踏み込むと作動、踏んだ足をワイヤーが締め上げるのだ。
足とワイヤーの間に指先をねじ込み、両手で輪を拡大させなんとか足を引っこ抜いた。
ワイヤーを広げるためには相当な力を要したので、
指を持たない鹿や猪ではまず外せない事を身をもって知った。
師匠が慎重に辺りを見回し、そして二個目の罠を発見した。
罠は一か所につき注意喚起のためのプレートを一枚掲げなければならない。
しかし現場にはプレート一枚と罠が二か所(またはそれ以上)。
これでは気づきようがない。
そして気になるのはワイヤーの輪の大きさだ。
今回のような事故防止のため、ワイヤーの直径は12cm以下と決められている。
短径が12cm以内であれば良いので長径をもっと長く作って長方形寄りになっても良いのだが、
それにしても長靴を履いた約30cmの人の足が掛かるとはルールを守り作られた罠なのか怪しい。
踏んでしまったのは申し訳ないがお互い様なのでは?
人の罠を慣れない物が扱うのも危険だ。
獲物が罠を踏んだが素早く足を抜き逃げたという事にして、作動した罠は放置し先へ進んだ。
獣達の生きた証拠
軽い足取りで師匠は先を進むが、こちらといえば藪をかき分けて進むので精一杯。
まずまともにに歩ける道を選ぶ事自体が難しい。
「まぁ初めてだし」
という慢心もあってあっさりとぬかるみにはまったり。
ガポガポと音を立てて長靴を引っこ抜き、ヒーヒー言いながら師匠の後をついていく。
しばらく進むと師匠が立ち止まった。
そしてとある場所を指さして言った。
「あれがヌタ場だ。」
ぬかるみの中に巨大な陥没があった。
ヌタ場。
猪が体に付着したダニを落とすためとか、
暑い夏の盛りに水浴びをするといった理由でぬかるみにダイブする場所。
「ここでヌタをうったな。」といった表現をする。
ベテランから聞く分には猪の行動結果とされるが、
ネットで調べると鹿も同様の行動を取る事があるようだ。
地面がえぐられるようにできた穴には大量の水が溜まっていた。
「(あぁこれがあのネットで見た・・)」
初めて目にした自分はとても興奮した。
それは確実・絶対に何かしらの獣がそこにいたという何よりの証明だったから。
住宅地からそう離れていないとは言え、山中のぬかるみで人がこんな事をする訳が無い。
自分が狩猟という世界の中にいるのだという事を実感した。
そして興奮冷めやらぬまま師匠に尋ねた。
「ここに罠をかければ良いんですね!?」
見切り
師匠は冷静だった。
「古いわ。」
獣がそこにいた事は間違いないのだが、えぐられた穴の淵の形状や溜まった水の透明度で、
最近できた穴ではない事を師匠は見た瞬間に判断していたのだ。
穴の淵は崩れ水は澄んでいた。
つまりその穴は大分前に使われたまま、現在は利用されず放置されているという事だ。
こういった現場の状況判断を見切りという。
ぬかるみでなくてもそういった判断はどんな痕跡でも必要になる。
獣道(文字通り獣の通った道)を見つけた場合は
- 何が通っているのか?
- 猪だとしたらそれはオスかメスか?
- 大人か子供か?
- 単独か複数行動か?
- 鹿や他の動物も通っていないか?
- はたして現在使われている道なのか?
獣の足跡(フットプリントとも言う)を見つけた場合は
- 蹄行性(ていこうせい・蹄で歩く鹿や猪)か?
- 指行性(しこうせい・指先で歩く狸や狐)か?
- 蹠行性(しょこうせい・掌で歩く熊やアライグマ)か?
- 新しいか古いか?
等、様々な現場の痕跡(フィールドサイン)を総合して判断しなければならない。
現在も使われている道や最近できた痕跡と仮定した場合、
獣が作った道である以上そこに罠を仕掛ければいずれ何かは獲れる可能性はある。
それはゼロではない。
しかしそれでは効率が悪いのだ。
山の中にある無数の痕跡から、
「ここなら捕獲できる!」
と見切る事ができるかどうかで猟果がまるで変わってくる。
「確率の問題だぞ。1%でも可能性が高い所を探せ。」
今でも師匠に言われる言葉だ。
それにしてもヌタ場を見て3秒にも満たない僅かな時間で次に進むとは。
現場を見ただけでそんなにあっさりと判断できてしまえるものなのか・・
そこに獣がいたのだという感動と、即座に次の獣道を探し出す師匠に対する感動。
すごい場所と人の傍にいるんだなと感じた。
とは言いつつこちらは慢心全開の未熟者。
師匠の背後で、その辺で見つけた木苺をつまみ食いしつつ栄養補給しながらついていった。
そして数年ぶりに心から素直に笑っている自分に気付いた。
料理や釣り以外、他に面白いと思える物に全然出会えなかったのに。
肉を食べる事への強い疑問があって始めたのに。
狩猟・・・・・・楽しい!
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