初猟⑧(夢が叶った日)

料理
ジンギシカン。どんどん色んな料理に挑戦していった。

山を抜ける

解体場所は師匠があらかじめ決めていた。
車で10分程走った所に開けた場所がある。
そこなら地面が平らで解体し易く、
木が取り囲むように生えているので人目に付きにくい。

獲物は止め刺し後、
放っておくと体内に熱がこもって、
身が茹だってしまう。

そのため、
可能な限り迅速に内臓を取り出して冷やさなければならない。
衛生上の問題はあるが、
周辺地域への影響がないのであれば、
地域・グループによっては内臓摘出後、
1頭まるまる川へ沈めて急冷させる所もある。

解体予定地には川は無いので、早急に切り分ける必要があった。
急いで荷物を片付けた。

初めて仕留めた獲物。
間違いなく嬉しいのに、
やはり憂鬱な気持ちは残る。
骨が邪魔をして刃を奥まで刺せなかったり、
逆に想像以上に深くまで入って、
貫通するのではと慌てたり。

槍を介して伝わる生々しい手ごたえが、
両手にずっと残っていた。
あの悲鳴も忘れられない。
車内でうまく喋る事が出来ないまま、
暗い気持ちで悶々としていた。
すると師匠が呟いた。
「やっと獲らせてやる事が出来たわ。」

ハッとした。
普段のからかい口調ではなく、
本音で喋っている事が伝わってきた。
ああそうか。
師匠は文字通り師匠として、
弟子に何とか獲らせてやろうと必死だったのだ。
だから以前罠を仕掛けた山に、
まだ猟期が開始して1ヶ月という早い段階にも関わらず見切りをつけ、
新しい山を探して回ってくれていたのだ。

それに気づくと、沈んでいるだけの自分が情けなくなった。
何から何まで自分が望んだ事を叶えてもらっているのだ。
食べたいと思い始めたのも自分。
殺生という行為をする事が分かっていて始めたのも自分。
これまでの過程と今の結果に感謝せねばならない。
それで気持ちが少し前を向いた。

峠の先にある他に仕掛けた罠を確認しつつ、
平地へ向かっていった。

小鹿が獲れた日

解体

幸か不幸か獲物が掛かっていたのは峠の1ヶ所だけ。
まあいい。
これはこれで初めて行う解体作業に専念できる。

解体用のナイフ・ゴム手袋・軍手から、
肉を入れるためのビニール袋まで、
必要な道具は全て揃っていた。
ありがたい事にそれら全て自由に使って良いとの事。
狩猟を始めた初年度は、
自分の出費という物が本当になかった。
申し訳なさ過ぎて、
2年目以降は先読みしてアレコレ買って持ち込んでいる。

解体場所へ到着したので、車の荷台から鹿を降ろす。
運搬にはかなり抵抗があった。
前向きに考えようとは思いつつ、
どうしてもあの光を失った瞳を見てしまう。
わざわざ自分から覗き込んで、
一人勝手に傷ついてしまう。
自分がした事だというのに。

それでも、念願の獲物が手に入ったのだ。
師匠のお陰で仕留める事ができたのだ。
喜ばねば。
解体道具と共に鹿を平地へ運んだ。

時刻は昼をとうに回っており、あまり余裕はない。
もたもたしていると日が暮れてしまう。
「ああこれから鹿をバラバラにするのか・・」
そんな事を考えるのは後にしよう。
食事を交代で摂りながら、
まずは内臓や頭といった不要部を埋めるための穴を掘った。

いよいよ解体。
鹿を仰向けにする。
鹿の腹に添えた左手、
手のひらにまだ残る鹿の体温を感じながら、
師匠から言われるがままに、
右手に持ったナイフの刃を腹にあてがった。

力が入り過ぎて刃が内臓を傷つけると、
たちまち内容物が体内に漏れ出てしまい、
臭いや汚染の元となる。

胃であれば消化中の食べ物。
胆のうであればとても苦い胆汁。
小・大腸であれば糞。
膀胱であれば尿。
どこも絶対に傷つけてはならない。
「軽く!軽く切り込みを入れていくんだぞ!」
そう言われ、慎重に切り込んでいった。

スルッ

刃が腹の薄皮をあっさりと引き裂き内部へ滑り込む。
肉が左右へ切り開かれるとまず腸が視界に入った。
大腸かな?小腸かな?
全部切り開けば分かるだろう。
下方へ20cm程切り開くと、突如、
湯気と共に立ち昇る内臓の臭いが鼻腔を満たした。

ナイフの刃はどこも傷つけてはいなかった。
しかしこれまで嗅いだ事のない臭いに驚き、
思わず吐きそうになる。
口を閉ざし、何も出すまいと喉に力を込める。
今では慣れた物だが、
血に臭いはないって嘘だろうと思う位、
あの時は血生臭く感じた。

しかし一方で、
ここに動物が生きるための全てが詰まっている。
そんな風にも感じた。

レバーとハツ

獣から肉へ

むせかえる一方で、
初めて大型動物の内臓を見て感動している自分もいた。
その構造に。
単純にその美しさに。

ナイフの刃は、
人間でいうへその辺りから肛門へ向かって入れていった。

腹の内部は横隔膜を境にして上下に部屋が分かれている。
そして内臓が、
上の部屋には気道・食道・肺・心臓
下の部屋には胃・肝臓・腎臓・胆のう・膵臓・小腸・大腸
といった具合に納まっている。

当たり前だが、
必要な物が必要とされる位置に必要な大きさで存在している。
その機能性に感動したのだ。

今度は刃を返して腹の上部へ切り進める。
太いあばら骨は、
ナイフの背を叩いて割りながら喉元まで進む。
あばらに貼りついた横隔膜を切り剥がすと、
もう上下の部屋を隔てるものは何もない。
腹の中が全て露出した。

槍を首と腹の上部に刺したので、
横隔膜から上の部屋には大量の血が溜まっていた。
固まって巨大なゼリーとなった血。
何度か両手ですくい上げて取り除く。

次は内臓全体の処理に取り掛かった。
まずは心臓と肝臓を切り取る。
心臓は握りこぶし程度、
肝臓は両手一杯でも足りない位の大きさで、
赤黒く、表面はツルツルしていてかなり重い。

内臓は掃除の手間や食味の都合で捨てる猟師が多いらしいが、
臓器の中でもこの2種類はまず間違いなく食される。
今回は心臓と肝臓だけ持ち帰ると師匠は言ったので、
他は全て埋設する事になる。

糞が漏れ出ないように肛門部は既に大きく切り取ってある。
気道と食道を首から切り離し、
肺もろとも両手で掴んで下へ向かって引っ張った。
すると、
ベリベリベリ・・
と音を立てながら、
全ての臓器が綺麗にまとめて剥がれていった。

内臓。
なんという重さだろう。
腰が痛い。
疲労も相まってフラつきながら、
埋設用の穴の中へ放り込む。
掘るだけで汗だくになったのに今度はこれを埋め直すのか・・
肉を食べるとはこんなに大変な行為だったのか。
罠を仕掛けるのも仕留めるのも解体するのも重労働。
まだまだ続くであろうこの先の工程を思うと少し萎えてしまった。
しかし振り返り、臓器が一切無くなり空洞化した腹を見て思った。

ああ肉だ。
もうこれは肉だ。
あとは皮を剥いでさえしまえば食べる事ができるんだ。
そう思った。

あまりの生々しさに怯んでもいたが、
「うまいぞこいつは。」
そう言われて、改めて鹿を食べ物として認識した。

鹿の肩甲骨

構造を覚えるために標本にした

 

反省と喜び

皮を剥ぐ。
人間でイメージするなら、
手首・足首の部分をナイフで一周させ、
その内の1か所、
手首足首から腹に向かって皮を切り開く。
後は足先から皮と肉の間に刃を入れて、
全体を剥いでいく。

力はほとんど必要ない。
切れ味の良いナイフであれば、
刃をあてがうだけでスルスルと剥けていく。
力を込めると皮を貫通してしまい逆にうまくいかない。
それが分かってはいても、何度も皮を貫いてしまった。

お世辞にも綺麗とは言えない所が多かったが、
師匠の丁寧な指導のお陰でどうにか全身の皮を剥ぎ終えた。
間接に刃を入れて前脚と後脚を全て外すと、
いよいよ文字通りの骨付き肉。
もう本当に、肉にしか見えない。
骨や構造や肉のつき方が分かっていないので、
もっとも美味とされる貴重な背ロースだけは師匠が外した。
後はもう夢中になって解体していた。

しかし日が暮れようとしていた。
「半分やるからよ。後は自分でやってみな。」
やってみろって・・
どうやっていいのかさっぱりわからない。
でも・・わからないなりにやってみるしかない。
少なくとも10kgはあるであろう骨付き肉を、
そのままビニール袋へ入れる。
心臓や肝臓も頂いた。

まだまだ解体時の反省点は多い。
それ以前に止め刺しから何から、
様々な技術をもっと高めなければならない。

しかし、
ついに、、、ついに鹿肉を手に入れた。
そんな思いで一杯だった。
とんでもなく嬉しかった。

鹿の後脚 筋膜をトリミングした後

夢が叶った日

「じゃーな。あまり食い過ぎるなよ腹壊すぞ。」
満足げな師匠はそれだけ注意して去って行った。

帰宅後は急いで風呂に入った。
ダニが体に付着している可能性があるので、
猟師は家に帰るとまず風呂に入る。
冷えきった体を温める必要もあった。

疲弊してはいたが頭は解体の続きで一杯だ。
何の猟果も得られなかった先週までとは違う。
早くあの大量の肉を、
綺麗に掃除して保存しなければならない。
苦労した分、無駄にできない。

いろんな事を考えた。
考えすぎてまとまらなかった。
里山で暮らす師匠のお知り合いから言われた言葉も気になっていた。
「毎晩、家の裏まで鹿が来るんや。
少しでも良いから獲ってくれ。」
そちらのお宅には鹿だけでなく猪も猿も穴熊も出るらしい。
自然が豊かな分、
山の動物達に畑の作物が、
あっという間に食べ尽くされてしまうという。

自分は駆除ではなく趣味として狩猟を始めた。
ジビエ料理として食べるために。

だが、
農作物なしに自分が生きていく事は不可能だ。
駆除の苦労は何一つ分かっていなかったが、
何か自分が役立てるのなら要望通りにしたかった。
たかだか1頭獲れた所でどうなる訳でもない。
だが、獲れるに越したことはない。
いざ本格的に駆除する事になったとしたら、
この経験は必ず役に立つはずだ。

一度考えだすとすぐに色々な事を思い迷い出す。
やはり鹿の悲鳴が忘れられない。
師匠の喜ぶ顔も忘れられない。
お知り合いに伝えたら喜んでくれるだろうか?

湯船に漬かりながらしばらく悩み、
そしてまた立ち戻る。
・・だめだもう考えるまい。

今は食べよう。
他の何よりも自分のために。
まだまだペーペーだけど、
『自ら仕留めた獲物の肉をジビエ料理にして食べる』
それが夢だったのだ。
これからその夢が叶うのだ。
もう食べる事を楽しもう。
風呂から上がり服を着て、
キッチンのシンクを洗浄し巨大な肉を放り込む。
酒を買うためにコンビニへ向かった。

解体は夜通し続いた。
いつ終わるとも分からない精肉作業。
目の前の巨大な肉を包丁で削り取り、
フライパンで焼いて塩だけふって食べた。

「うまい!!!」

心臓を焼き
肝臓を焼き
ロースを焼き
塩だけふって食べた。

「うまい!!!」

鹿独特の草とも笹とも言えない風味。
あの噛み締める歯ごたえ。
あの旨味の力強さ。
ただ食べれば良かったのだ。
それで十分だったのだ。

どんどん食べながらどんどん酒を飲み、
日が変わっても解体し続けた。
幸せだった。

翌日、食べ過ぎで盛大に腹を壊した。
それでもやっぱり、幸せだった。

ありがとう。

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料理
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エセ神戸は小食です意外ですねでもSNSは食い物ばかりアップしています。

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